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2005年 08月 28日

芸術の教育で何が育ったか

mixiでこんな提起があった。以下、なんかの書類であったらしい内容の抜粋。

《これから芸術が大事にされるためには「その芸術で何が育ったのか」「何が育つのか」証明していかなければならない。
《他教科が数字で成果を示すのに対して、芸術は感覚で評価するため説得力がない。》
《「創造性が美術によって育っているのか」美術教師もできた作品については研究するが、できた美術作品によって生徒の創造性が育ったかは研究していない。美術が情操を育てているというが、どのように育ったか証明されていない。受験科目は、具体的な数字で証明しているから説得力がある。美術は説得力がない。教育は論理である。美術は感覚である。絵を描いたりものを作ったりすることは感覚である。そこで、美術は感覚だから感じるままに表現すればいい、感覚の世界で述べている人がいる。教育は感覚ではない。教育は論理で、こういう教育をすればこういうふうになる、だからこの教育は大事である、学校で必要であると主張できる。自由にやれるなら学校は要らない。美術の学習によってどのような能力が育つのかもっと論理的に説明しなくいと説得力がない。今、絵を描いたりモノを作ることがどういう意味があるのか、教科性としての教育の論理をきちんと確立していないと、10年後あるかわからない。美術館のワークショップとどう違うのか、カルチャーセンターとどう違うのか。土日に学校を開放し、好きな子が好きなだけやれるようにしたらいいのではないか。それでもあえて週1時間又は2時間位置づけてやる》

なるほど。つい最近、区の指導主事に「教師によって評価が異なるような評価基準はまずい」とご指導いただいたのを思いだした。全く持ってその通り。主観による評価基準の不条理さは母校(高校)でもよく知っている。すぐに正解は出せないが、教師である限りそのための努力を怠ってはいけない。

by t.i.e-k2 | 2005-08-28 23:32


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